SSブログ

追悼 阿修羅・原選手  [プロレス・格闘技]

スポンサードリンク




元プロレスラーの阿修羅・原さんがお亡くなりになった。
ご冥福をお祈り申し上げます。

中学生のころだと思うが地元に国際プロレスが巡業でやってきた。
まだプロレスファンではなかったので観戦にはいかなかったが
街中に何枚も貼られた宣伝ポスターがもの珍しくて印象に残った。
確かV・ガニアと大木金太郎のタイトルマッチを大書きしたもの、
モンゴリアン・ストンパーのドアップ写真のもの、
そして阿修羅・原選手を大きく扱ったものがあったのを覚えている。
多分、それが印象に残ったのか、そのうちにTVの国際プロレス中継を
見るようになったのだが、その時期は原選手は海外遠征中で
TVで見ることはなかったと思う。
実際に動く原選手をみたのはそれから2年後、全日本での天龍戦になった。

国際プロレスが倒産し、当初は新日本のリングに上がり藤波と戦うと
発表されたが、原選手自身が
「ヘビー級に転向するので今さらジュニアの藤波と戦う気はない」
「同じくらいの年齢・キャリアの天龍と戦いたい」
と述べ、全日本にフリーとして参戦してきたのだ。

当時の私は天龍選手のファンになりかけていた時期だった。
そのころの全日本はタイガー戸口が新日本に引き抜かれ、
馬場・鶴田に次ぐ位置の場所を天龍が埋めるかどうか、
一応、プリンス・トンガ、石川隆士、ロッキー羽田、そして原と同じく
国際プロレスから来たマイティ井上もいるけれど・・という状態。
なんとなく天龍vs原は「全日本第三の男決定戦」という感じだった。
もっとも生抜きを大事にする馬場さんの団体だから、
流れは天龍が第三の男、となるだろう流れではあったが。

確か深夜に中継された全日本プロレスで、初めて見た動く原選手は
ごつごつとしたスタイルで、ジュニア出身という感じはなかった。
悪くない試合だったが結果は両者リングアウト。
満足した顔で天龍の手をとる原選手と少し不満げな天龍選手の顔が
印象に残っている。
K0050030.JPG
2ヵ月後にはこの二人がコンビを組んで世界最強タッグリーグ戦に参加。
そして地元にきたこの巡業を観に行ったのが私の初のプロレス生観戦。
ところがその大会で天龍・原組は大熊・小鹿組と対戦したのだが
まさかの天龍が大熊にリングアウト負け。

後に一世を風靡する龍原砲のまさかの敗戦?
を見ることとなった。
今となっては面白い観戦になったと思うが(笑)。




スポンサードリンク



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。