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追悼 阿修羅・原選手02 [プロレス・格闘技]

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天龍・原組は翌年も世界最強タッグリーグに参加。
しかしその次の年からは天龍は鶴田と鶴龍コンビと
して参加することとなり、天龍・原組はしばらく前面に
出てこなくなった。
その後、原は全日本・長崎興行でのトラブルが原因で
一旦全日本から姿を消し、85年に復帰してから
しばらくは天龍と敵対。
そして87年に天龍とともに「龍原砲」として走り出し、
鶴田・輪島らを相手に激しいプロレスを展開。

天龍ファンだと言うと、他のプロレスファンからも
「龍原砲のプロレスは凄いですね」
と言われることもあったが、実は私は龍原砲を
見るにつけ結構ハラハラし通しだった。
なにせ原選手の腰の状態などがかなり悪いことは
マスコミ報道等もあったし試合を見てもわかるように
なっていたから。
だから87年に原選手が全日本を解雇になり
いなくなったときにはとてもショックだったが、
同時に原選手の肉体も限界に近かっただろうから
少しホッとしたのも事実だった。




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